やっぱりヨガが合う [雑感]
昨日は数年ぶりにヨガに行ってきました。
アシュタンガのような鍛えるヨガ(陽ヨガ)ではなく、
陰ヨガに近い、ゆっくりカラダをほぐして可動域を広げるヨガです。
ここ数年はピラティスやTRXでのパーソナルトレーニングに行っていました。
鍛えるためではなく、ごくごく緩いトレーニングで、
各部位の筋肉の機能を知り、バランスを整え、本来の使い方に戻す、という感じです。
右利き左利きなどで、脚や腕などは左右の使い方に差が出てきますよね。
腿でいえば、前面の筋肉、後ろの筋肉、外側の筋肉、内側の筋肉などもあります。
日常的によく使う筋肉はより強く、使わない筋肉は退化してくるので、バランスが崩れてくる。
自分の現状(どの筋肉を使って体を動かすことが多いのか)を知り、
バランスを取れるように弱い筋肉を強化していく、という訳です。
ただ、普通のトレーニングなので、体がすっきりする、やったという満足感はあるものの、
ヨガのようにストレスフルな精神の安定を図る効果はありません。
これは、ヨガが呼吸法を大事にし、瞑想を目的としていることが大きいです。
最近、諸事情によりストレスフルな状態にあり、
今の私にはトレーニングよりヨガが必要と感じていたのですが、
なかなかしっくりくる教室が見つからず、パーソナルトレーニングに通い続けていました。
昨日行った教室はかなり理想に近い教室だったので、毎週通って様子を見ることにします。
アシュタンガのような鍛えるヨガ(陽ヨガ)ではなく、
陰ヨガに近い、ゆっくりカラダをほぐして可動域を広げるヨガです。
ここ数年はピラティスやTRXでのパーソナルトレーニングに行っていました。
鍛えるためではなく、ごくごく緩いトレーニングで、
各部位の筋肉の機能を知り、バランスを整え、本来の使い方に戻す、という感じです。
右利き左利きなどで、脚や腕などは左右の使い方に差が出てきますよね。
腿でいえば、前面の筋肉、後ろの筋肉、外側の筋肉、内側の筋肉などもあります。
日常的によく使う筋肉はより強く、使わない筋肉は退化してくるので、バランスが崩れてくる。
自分の現状(どの筋肉を使って体を動かすことが多いのか)を知り、
バランスを取れるように弱い筋肉を強化していく、という訳です。
ただ、普通のトレーニングなので、体がすっきりする、やったという満足感はあるものの、
ヨガのようにストレスフルな精神の安定を図る効果はありません。
これは、ヨガが呼吸法を大事にし、瞑想を目的としていることが大きいです。
最近、諸事情によりストレスフルな状態にあり、
今の私にはトレーニングよりヨガが必要と感じていたのですが、
なかなかしっくりくる教室が見つからず、パーソナルトレーニングに通い続けていました。
昨日行った教室はかなり理想に近い教室だったので、毎週通って様子を見ることにします。
書くことの効用 [雑感]
このブログを始めて1ヶ月が経過しました。
以前、何かのネット記事で
● 多くの人がブログを立ち上げて1ヶ月でやめてしまう。
● やめてしまう理由は、最初は誰も見てくれない(アクセス数が伸びない)ので、辛くなるからだ
と読んだことがありまして、「ふむふむ、ならばとりあえず目指すは1ヶ月続けよう」と、
飽き性を自認しているワタクシは、志の低い目標を立てたのでありました(笑)
ということで1ヶ月無事に続いたので、ブログを始めての状況と変化をまとめてみましょう。
<アクセス数の現状>
● 1日5件行けば良いほうかな(笑)
● 自分が見た分のアクセス数しかついていない(つまり私以外は0ゼロ)という日も普通にある
● nice!や読者なんぞは付きません、付いても怪しげなブログ(アフィリエイト目的?)の筆者から(笑)
という状況で、アクセス数は低い。知り合いも多分、だーれも見てないであろう(笑)
が、最初から「多くの人に見せるぞ」といった目標や夢も無かったので気にもなっていない。
だからこそ、続いたのかもしれない(この辺はまた後述を参照)
<そもそもブログを始めたきっかけ>
そもそもこのブログを始めたきっかけは、facebook以外の情報発信場所が欲しいと感じたことでした。
ひとつは、普段はfacebookにいろいろと書き込んでいますが、知り合いばかりのネットワークから離れ、仕事などの関係性を気にせず、匿名性のある場所で自由に情報を発信したかったこと(かといって怪しげなことは書かないけどww)。
それに、facebookは過去の情報を探しにくいんですよね。カテゴリーを分けたり、検索できる記録媒体が欲しいというのもありました。
もうひとつは、大好きなお店の情報などを載せることもあったりして、そういった多くの目に触れて欲しい情報が検索に引っかかる場所で情報発信をしたかったのです。
誰かが情報を知りたくて関連するキーワードを打ち込んだ時、参考になるかは別として、一つの情報を提供したたかったのです。
後者の意味ではもう少し人の目に触れる記事を書く必要があるのですが、それはこれから少しずつ考えていきたいと考えています。
まずはコツコツ続けること。ブログの扱いに慣れること。それが大事。
<心境の変化>
● 書きたいことをいつでも書ける場所を作ったら、毎日が楽しく、気持ちが軽やかになった
● とはいえ、わざわざブログに書きたいことが出てこない時期もあり、中だるみの時期はあった
● 書きたいのに日常に追われて時間が取れないときはちょっとモヤモヤする
私は10年近く心理学やカウンセリングを学んでいますので、「怒りや悲しみなどネガティブな思いを言葉で吐き出すこと(言う、書く、など)」の大切さはよく知っていました。
ボランティアカウンセリングをしていたときも、クライアントさんにたくさんお伝えしてきました。
「話す」ことができたら、問題を「放す」ことが出来る。
「話す」が難しかったり、嫌だったら、「書き出す」と良いですよ~、と。
が
私自身で言えば、正直「書く」のはめんどくさかったんですよね
書くことに苦手意識もあり、「話す」方を優先してきました。
ただ、4年前に今の仕事に転職し、仕事で文章を書くことが必須になり、毎月締め切りに追われながら言葉を紡ぐうちに、書くことに慣れ、抵抗感が薄れてきたのだと思います。
このブログを始めるちょっと前から、スマホに日記アプリも入れ、
● 日記 ・・・ 自分だけに吐き出したいこと、自分だけのために記録しておきたいことを書く
(こっそり毒を吐く毒吐き帳とかもあります。笑)
● facebook ・・・ 知り合いや親しい友人にシェアしたいこと、つぶやきたいことを書く
● このブログ ・・・ 上記の始めたきっかけを参照
と使い分け、書き出すことを集中的にやってきました。
そうしているうちに気付いたのは、怒りや悲しみといったネガティブな思いだけではなく、楽しいことや嬉しいことも書いたり話して出した方が良い、吐き出せないとなんだかイライラモヤモヤしたり、無気力になるということでした。
ポジティブな事柄でさえ、誰かに伝えたかったりどこかに記しておきいと思ったら、心の中だけに持っておくのはしんどいんです。
心の中に押さえ込むエネルギーが大きくなると、他のことをするエネルギーがそっちに回ってしまい、無気力になったり、イライラする訳です(笑)
日記、facebook、ブログ、という特性の違う吐き出し口を揃えた結果、ワタシが気兼ねなく情報を発信できる場が用意され、上手にエネルギー(思い)を放つことが出来るようになったということでしょう。
<今後のこと>
● とりあえずまだしばらくは、とりとめもなく書いていく
(仕事のように文章の体裁を整えない)
● アクセス数も、まぁほっといていいか。誰かに見て欲しくなったら、facebookでシェアしよう(笑)
ま、そんな感じですかね。そろそろ眠くなったので、ここらで失礼
以前、何かのネット記事で
● 多くの人がブログを立ち上げて1ヶ月でやめてしまう。
● やめてしまう理由は、最初は誰も見てくれない(アクセス数が伸びない)ので、辛くなるからだ
と読んだことがありまして、「ふむふむ、ならばとりあえず目指すは1ヶ月続けよう」と、
飽き性を自認しているワタクシは、志の低い目標を立てたのでありました(笑)
ということで1ヶ月無事に続いたので、ブログを始めての状況と変化をまとめてみましょう。
<アクセス数の現状>
● 1日5件行けば良いほうかな(笑)
● 自分が見た分のアクセス数しかついていない(つまり私以外は0ゼロ)という日も普通にある
● nice!や読者なんぞは付きません、付いても怪しげなブログ(アフィリエイト目的?)の筆者から(笑)
という状況で、アクセス数は低い。知り合いも多分、だーれも見てないであろう(笑)
が、最初から「多くの人に見せるぞ」といった目標や夢も無かったので気にもなっていない。
だからこそ、続いたのかもしれない(この辺はまた後述を参照)
<そもそもブログを始めたきっかけ>
そもそもこのブログを始めたきっかけは、facebook以外の情報発信場所が欲しいと感じたことでした。
ひとつは、普段はfacebookにいろいろと書き込んでいますが、知り合いばかりのネットワークから離れ、仕事などの関係性を気にせず、匿名性のある場所で自由に情報を発信したかったこと(かといって怪しげなことは書かないけどww)。
それに、facebookは過去の情報を探しにくいんですよね。カテゴリーを分けたり、検索できる記録媒体が欲しいというのもありました。
もうひとつは、大好きなお店の情報などを載せることもあったりして、そういった多くの目に触れて欲しい情報が検索に引っかかる場所で情報発信をしたかったのです。
誰かが情報を知りたくて関連するキーワードを打ち込んだ時、参考になるかは別として、一つの情報を提供したたかったのです。
後者の意味ではもう少し人の目に触れる記事を書く必要があるのですが、それはこれから少しずつ考えていきたいと考えています。
まずはコツコツ続けること。ブログの扱いに慣れること。それが大事。
<心境の変化>
● 書きたいことをいつでも書ける場所を作ったら、毎日が楽しく、気持ちが軽やかになった
● とはいえ、わざわざブログに書きたいことが出てこない時期もあり、中だるみの時期はあった
● 書きたいのに日常に追われて時間が取れないときはちょっとモヤモヤする
私は10年近く心理学やカウンセリングを学んでいますので、「怒りや悲しみなどネガティブな思いを言葉で吐き出すこと(言う、書く、など)」の大切さはよく知っていました。
ボランティアカウンセリングをしていたときも、クライアントさんにたくさんお伝えしてきました。
「話す」ことができたら、問題を「放す」ことが出来る。
「話す」が難しかったり、嫌だったら、「書き出す」と良いですよ~、と。
が
私自身で言えば、正直「書く」のはめんどくさかったんですよね
書くことに苦手意識もあり、「話す」方を優先してきました。
ただ、4年前に今の仕事に転職し、仕事で文章を書くことが必須になり、毎月締め切りに追われながら言葉を紡ぐうちに、書くことに慣れ、抵抗感が薄れてきたのだと思います。
このブログを始めるちょっと前から、スマホに日記アプリも入れ、
● 日記 ・・・ 自分だけに吐き出したいこと、自分だけのために記録しておきたいことを書く
(こっそり毒を吐く毒吐き帳とかもあります。笑)
● facebook ・・・ 知り合いや親しい友人にシェアしたいこと、つぶやきたいことを書く
● このブログ ・・・ 上記の始めたきっかけを参照
と使い分け、書き出すことを集中的にやってきました。
そうしているうちに気付いたのは、怒りや悲しみといったネガティブな思いだけではなく、楽しいことや嬉しいことも書いたり話して出した方が良い、吐き出せないとなんだかイライラモヤモヤしたり、無気力になるということでした。
ポジティブな事柄でさえ、誰かに伝えたかったりどこかに記しておきいと思ったら、心の中だけに持っておくのはしんどいんです。
心の中に押さえ込むエネルギーが大きくなると、他のことをするエネルギーがそっちに回ってしまい、無気力になったり、イライラする訳です(笑)
日記、facebook、ブログ、という特性の違う吐き出し口を揃えた結果、ワタシが気兼ねなく情報を発信できる場が用意され、上手にエネルギー(思い)を放つことが出来るようになったということでしょう。
<今後のこと>
● とりあえずまだしばらくは、とりとめもなく書いていく
(仕事のように文章の体裁を整えない)
● アクセス数も、まぁほっといていいか。誰かに見て欲しくなったら、facebookでシェアしよう(笑)
ま、そんな感じですかね。そろそろ眠くなったので、ここらで失礼
大切なプレゼントは贈る側にとってもギフトがある [雑感]
今日は職場の同僚の退職日でした。
この同僚とは、ほぼ同じ時期に転職してきた中途の同期でもあり、同い年。
同じ上司の下で、4年働いてきました。
あっという間だけれど濃い4年間でした。
多分、あの職場で一番話をした人だと思う。
たくさん助けてもらったし、たくさん手伝ってきた(と思うんだけどw)し、大喧嘩したこともある。
大切な大切な友人なのに、周りに期待され評価されている彼の姿を見ると、思うように結果が出せず評価されにくい私自身と比べてしまい、激しい嫉妬も感じてきました。
顔すら見たくない時期だってありました
自分の中にこんなに嫉妬があるの、初めて知った。
大切な友人なのに、嫉妬で暴言吐いたのも初めてだった
(嫉妬って、こんなにしんどくて、人を狂わせるものなのかと思った。苦笑)
なんだかね、喜びも怒りも哀しみも楽しさも、それはもうびっくりするほど激しかった
彼と言う存在を通じて、自分の心の奥底にあった劣等感や弱さや傲慢さが浮き彫りになって、いろんな感情と向き合うことになり、たくさん学ばせてもらいました。
おかげで、今の私がある。本当に成長させてもらった。
私はたくさん与えてもらったけれど、私は彼にどれだけのものをあげることができたのかな・・・。
----
同僚へは、退職の記念として、シャチハタのネームペンを渡しました。
よく遊ぶ仲間3人でお金を出し合って、自分ではなかなか買わない値段のものを。
いろいろなデザインと色があるので、実物見本を探して、梅田の百貨店やロフトを何回も行き来し、何度も何度も考えて、シャンパンゴールドのペンにしました。
どのお店でも同じものが手に入るけれど、何店舗も見ているうちに梅田阪急は明らかに客層が違う、格が違うと感じたので、梅田阪急で発注しました。
大切な友人の人生の門出を祝い、これからの成功を祈って、格のあるお店の包装紙で、特注の印鑑とちょっと上質のボールペンをプレゼントする。
不思議なことに、選んでいるときも発注するときも、私の方がピリッと気が引き締まって、私の方が新しく生まれ変わるような気持ちになりました。
プレゼントは贈る側こそ、ギフトがあるものなのかもしれませんね。
(贈られた本人が気に入ってくれるかは別の問題ですけどね・・・笑)
この同僚とは、ほぼ同じ時期に転職してきた中途の同期でもあり、同い年。
同じ上司の下で、4年働いてきました。
あっという間だけれど濃い4年間でした。
多分、あの職場で一番話をした人だと思う。
たくさん助けてもらったし、たくさん手伝ってきた(と思うんだけどw)し、大喧嘩したこともある。
大切な大切な友人なのに、周りに期待され評価されている彼の姿を見ると、思うように結果が出せず評価されにくい私自身と比べてしまい、激しい嫉妬も感じてきました。
顔すら見たくない時期だってありました
自分の中にこんなに嫉妬があるの、初めて知った。
大切な友人なのに、嫉妬で暴言吐いたのも初めてだった
(嫉妬って、こんなにしんどくて、人を狂わせるものなのかと思った。苦笑)
なんだかね、喜びも怒りも哀しみも楽しさも、それはもうびっくりするほど激しかった
彼と言う存在を通じて、自分の心の奥底にあった劣等感や弱さや傲慢さが浮き彫りになって、いろんな感情と向き合うことになり、たくさん学ばせてもらいました。
おかげで、今の私がある。本当に成長させてもらった。
私はたくさん与えてもらったけれど、私は彼にどれだけのものをあげることができたのかな・・・。
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同僚へは、退職の記念として、シャチハタのネームペンを渡しました。
よく遊ぶ仲間3人でお金を出し合って、自分ではなかなか買わない値段のものを。
いろいろなデザインと色があるので、実物見本を探して、梅田の百貨店やロフトを何回も行き来し、何度も何度も考えて、シャンパンゴールドのペンにしました。
どのお店でも同じものが手に入るけれど、何店舗も見ているうちに梅田阪急は明らかに客層が違う、格が違うと感じたので、梅田阪急で発注しました。
大切な友人の人生の門出を祝い、これからの成功を祈って、格のあるお店の包装紙で、特注の印鑑とちょっと上質のボールペンをプレゼントする。
不思議なことに、選んでいるときも発注するときも、私の方がピリッと気が引き締まって、私の方が新しく生まれ変わるような気持ちになりました。
プレゼントは贈る側こそ、ギフトがあるものなのかもしれませんね。
(贈られた本人が気に入ってくれるかは別の問題ですけどね・・・笑)
大切な友人の家や家族を知っていますか? [雑感]
あなたは大切な友人が住んでいるところ、大切な友人の家族を知っていますか?
今年のお正月はどのくらい年賀状を交わしましたか?
私はもともと筆不精なこともあり、このところ、年賀状を1枚も出していません
全てeメールやLINEでご挨拶を送っています。
(毎回年賀ハガキを送ってくださる方すみません・・・)
でも、ここ数年、そんな中でふと思うことがあるのです。
私が高校までは、今のように携帯電話が普及しておらず(せいぜいポケベルまで)、
友人に電話しようと思えば、友人宅の固定電話に電話をかけ、ご家族が出られることも多くありました。
そのため、友人の親兄弟とお互いに面識がある、という状態でした。
長期休暇になれば、何枚も手紙を書いて送っていて、当然、友人の住所を知っていました。
互いの実家を行き来することもあったでしょう。
(ちなみにやじるしは、小学生高学年以降、事情があって家に友人を招いていないんですけどね・・・)
でも、インターネットがここまで普及して、手紙ではなくeメール、SNS(Facebook、ツイッター、LINE、インスタなど)、本人にしか繋がらない携帯電話で繋がり、近況を知る。
大人になるにつれ互いの家で遊ぶことが減り、外で会うことが増える。
友人が住む家に遊びに行くけれど、親元を離れて住んでいることが多いから、実家の住所は分からない・・・。
とても親しいのに、とても大切な友人なのに、家を知らない、家族を知らない、ということが結構あるのです。
何も無いときは問題ないけれど、ある日突然、友人と連絡が取れなくなったら・・・?
頻繁に更新されていたSNSの更新が、突然、ぱたりと途絶えた。
メールを送っても、携帯に電話しても、何日も連絡が取れない。
LINEもずっと未読のまま・・・。
最初は
「忙しいのかな?しばらく様子を見よう。」
そのうち、
「体調崩したりしてないよね・・・?」「心当たり無いけど、もしかして嫌われてたとかないよね?」
そして更に、
「本当に心配になってきた・・・。様子見に行きたいのに、住所が分からない・・・。」
ここで共通の友人がいたら、誰か知っているかもしれない。
でも、誰も知らなかったら・・・?
忙しいとか、嫌われていたとかならいい。
悲しいけれど、受け入れましょう。
でも、もし本人の身に何か起こっていたらどうしよう。
生きているならまだ良い。もし急に亡くなっていたりしたら・・・?
どこから情報が入ってくるのだろう、誰に訊けば確認できるのだろう・・・。
--------------
やじるしが大学を卒業して数年経った頃、突然、夜中に家の電話が鳴りました。
大学の先輩がある日突然亡くなったことを知らせる、当時の同級生からの電話でした。
夜、睡眠中の心筋梗塞でした。
あるんですよね、そういうこと。
考えたくないけれど、さっきまで一緒に楽しく話していた友人が、今日職場で「お疲れ!」と別れを告げた仲間が、
明日もまた会える確率は100%じゃないんです。
そしてまた、怖いけれど、私だって、必ず明日があるとは限らない。
そのとき、両親から誰に知らせてもらいたい?
私のことを。
--------------
今年は、大切な人たちと、もう少し深く関わっていければ・・・と考えています。
住所とかだけじゃなくて。
今まで、ちょと遠慮があって立ち入らなかったところへ。
私が見せるのを躊躇していたところへ。
今までお互いのことだけだった興味の範囲を、
更にお互いの周りにいる、お互いの大切な人達まで興味を広げたり。
もちろん、友人の気持ちを尊重しつつ、つっこんでみよう(笑)
よろしくね、私の友人のみなさん
今年のお正月はどのくらい年賀状を交わしましたか?
私はもともと筆不精なこともあり、このところ、年賀状を1枚も出していません
全てeメールやLINEでご挨拶を送っています。
(毎回年賀ハガキを送ってくださる方すみません・・・)
でも、ここ数年、そんな中でふと思うことがあるのです。
私が高校までは、今のように携帯電話が普及しておらず(せいぜいポケベルまで)、
友人に電話しようと思えば、友人宅の固定電話に電話をかけ、ご家族が出られることも多くありました。
そのため、友人の親兄弟とお互いに面識がある、という状態でした。
長期休暇になれば、何枚も手紙を書いて送っていて、当然、友人の住所を知っていました。
互いの実家を行き来することもあったでしょう。
(ちなみにやじるしは、小学生高学年以降、事情があって家に友人を招いていないんですけどね・・・)
でも、インターネットがここまで普及して、手紙ではなくeメール、SNS(Facebook、ツイッター、LINE、インスタなど)、本人にしか繋がらない携帯電話で繋がり、近況を知る。
大人になるにつれ互いの家で遊ぶことが減り、外で会うことが増える。
友人が住む家に遊びに行くけれど、親元を離れて住んでいることが多いから、実家の住所は分からない・・・。
とても親しいのに、とても大切な友人なのに、家を知らない、家族を知らない、ということが結構あるのです。
何も無いときは問題ないけれど、ある日突然、友人と連絡が取れなくなったら・・・?
頻繁に更新されていたSNSの更新が、突然、ぱたりと途絶えた。
メールを送っても、携帯に電話しても、何日も連絡が取れない。
LINEもずっと未読のまま・・・。
最初は
「忙しいのかな?しばらく様子を見よう。」
そのうち、
「体調崩したりしてないよね・・・?」「心当たり無いけど、もしかして嫌われてたとかないよね?」
そして更に、
「本当に心配になってきた・・・。様子見に行きたいのに、住所が分からない・・・。」
ここで共通の友人がいたら、誰か知っているかもしれない。
でも、誰も知らなかったら・・・?
忙しいとか、嫌われていたとかならいい。
悲しいけれど、受け入れましょう。
でも、もし本人の身に何か起こっていたらどうしよう。
生きているならまだ良い。もし急に亡くなっていたりしたら・・・?
どこから情報が入ってくるのだろう、誰に訊けば確認できるのだろう・・・。
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やじるしが大学を卒業して数年経った頃、突然、夜中に家の電話が鳴りました。
大学の先輩がある日突然亡くなったことを知らせる、当時の同級生からの電話でした。
夜、睡眠中の心筋梗塞でした。
あるんですよね、そういうこと。
考えたくないけれど、さっきまで一緒に楽しく話していた友人が、今日職場で「お疲れ!」と別れを告げた仲間が、
明日もまた会える確率は100%じゃないんです。
そしてまた、怖いけれど、私だって、必ず明日があるとは限らない。
そのとき、両親から誰に知らせてもらいたい?
私のことを。
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今年は、大切な人たちと、もう少し深く関わっていければ・・・と考えています。
住所とかだけじゃなくて。
今まで、ちょと遠慮があって立ち入らなかったところへ。
私が見せるのを躊躇していたところへ。
今までお互いのことだけだった興味の範囲を、
更にお互いの周りにいる、お互いの大切な人達まで興味を広げたり。
もちろん、友人の気持ちを尊重しつつ、つっこんでみよう(笑)
よろしくね、私の友人のみなさん
PM2.5 [雑感]
皆さんはPM2.5は平気ですか?
私は体調の変化でPM2.5の量を測れそうなくらい敏感です
今朝は体調がすっきりせず、なんだか頭が痛いような重いような・・・鬱陶しい思いで目が覚めました。
布団の中でモゾモゾしていると、なんだか目の奥が重い、鼻の奥がツンツンする。
花粉症のモーニングアタックとちょっと似ているけれど、ちょっと違う。
花粉症は強い痒みなのですが、黄砂とPM2.5はそれよりも刺激が強くて、痛みに近いのです。
今日はもしやPM2.5が多いのかな・・・と思い、スマホのアプリ(私のiPhoneにはPM2.5の予測を教えてくれるアプリが入っています)を見ると、「やや多い」とのこと。
やっぱりなぁ、と思いました。
ひどいときは胸の辺りが少し重く、「少し呼吸が詰まるな・・・」という感じも出てきます。
更に、ひどい胃痛になります。
この数年で気付いた私に出る症状は、目の奥・鼻の奥のツンツン、喉がひりつく、頭痛、肺の辺りが鬱陶しい、ひどい胃痛、です。
日本ですら、敏感な人間にはこれだけの症状が出るのですから、中国本土の人たちはそれは大変でしょう
まずは自分たちのため、で良いので、早く改善してくれることを望みます。やれやれ・・・。
私は体調の変化でPM2.5の量を測れそうなくらい敏感です
今朝は体調がすっきりせず、なんだか頭が痛いような重いような・・・鬱陶しい思いで目が覚めました。
布団の中でモゾモゾしていると、なんだか目の奥が重い、鼻の奥がツンツンする。
花粉症のモーニングアタックとちょっと似ているけれど、ちょっと違う。
花粉症は強い痒みなのですが、黄砂とPM2.5はそれよりも刺激が強くて、痛みに近いのです。
今日はもしやPM2.5が多いのかな・・・と思い、スマホのアプリ(私のiPhoneにはPM2.5の予測を教えてくれるアプリが入っています)を見ると、「やや多い」とのこと。
やっぱりなぁ、と思いました。
ひどいときは胸の辺りが少し重く、「少し呼吸が詰まるな・・・」という感じも出てきます。
更に、ひどい胃痛になります。
この数年で気付いた私に出る症状は、目の奥・鼻の奥のツンツン、喉がひりつく、頭痛、肺の辺りが鬱陶しい、ひどい胃痛、です。
日本ですら、敏感な人間にはこれだけの症状が出るのですから、中国本土の人たちはそれは大変でしょう
まずは自分たちのため、で良いので、早く改善してくれることを望みます。やれやれ・・・。